2013.05.11 猫を抱いて象と泳ぐ
(オンマウスで、裏表紙。)
猫を抱いて象と泳ぐ
(文藝春秋 2011/07/08)
小川 洋子
伝説的なチェスプレイヤー、
リトル・アリョーヒンの数奇な一生を描いた小説にすっかり魅かれ、
しかも表紙や裏表紙に使われているオブジェが魅力的で
文庫本ではあきたらず、わざわざ単行本を探すほどの入れ込みよう、
そのまま勢いにまかせて、
10年前のベストセラー「博士・・」を読み、
おっとっと、と急ブレーキ、そんな感じでした。
「博士の愛した数式」でも、数字について「美しい」ということばで、
くりかえし表現されていましたが、
「猫を抱いて象と泳ぐ」の中では、
チェスの勝負に「美しい」ということばが使われています。
わたしはチェスの駒の動かし方ぐらいしか知らないのに
なるほど、そういうものかと思ってしまっていました。
でも、「博士の愛した数式」を読んでいると、
あれれ?という、疑問が頭に浮かんでくるのでした。
リトル・アリョーヒンの名勝負について、
勝手にわかったような気になっていたけれど、
はたして、「美しい」ってなんだろうか?
と考え込んでしまったのでした。
「愛おしい」「かわいい」「綺麗」「かっこいい」などなど、
ときには、「かわいそう」「やさしい」「あたたかい」「やわらかい」
「つよい」「高い」あるいは「すごい」「面白い」
「懐かしい」「誰もがみんな」
こういうジャッジによって
ヒーローや、アイドルは出来上がるものかもしれないし、
ある程度の許容範囲を超えない限り、
人の心を楽しませるものだと思います。
たとえ博士の80分しか持たない記憶のように長続きしないとしても。
リトル・アリョーヒンの「美しい」勝負とはなんだろう。
知ったように思ってはいけない
わかったような気持ちになってはいけない
と、そのように思ったのでした。
関連記事in my blog: 博士の愛した数式
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