2017.11.11 わたしを離さないで

わたしを離さないで
(ハヤカワep文庫 2008/8/25)
カズオ・イシグロ 作 土屋 政雄 訳
ヘールシャムという寄宿制の学校に通う子供たちの日常は
ごくありきたりな凡庸なものに見えていましたが、
次第にその不自然さと「ほんとう」に向き合うということになります。
読者は、語り手のキャシーの成長とともに、
少しずつ真実を知ることになります。
この小説もどこか「フランダースの犬」と似ています。
はたして、芸術は人を救えるのか?
ネロが絵のコンテストに最期の望みをかけたように
ヘールシャム出身の彼らもまた希望を抱きます。
絵を描くこと、絵を見ることが人の命を守ることができるのか?
芸術は人の愛を現す
ことばでは簡単にそんなことを言うけれど、
実際に命を救う手段であり得るのか。
芸術と臓器移植という対極にある「救命」を並べて
考えさせられる作品です。
フランダースの犬のネロはあたかもルーベンスの絵を見て
満足して死んだかのようですが、
実際は最期までよりそってくれた犬パトラッシュがいたから
微笑んで死ねることができたのかもしれません。
パトラッシュは、遠藤周作の言うところの
同伴者イエスではないのか。
そんなことを考えたりしていたので、つい先日も
長崎まで行って見ようと思ったのでした。
同伴者、パトラッシュそしてこの小説でいうところの「介護人」。
では何故トミーはキャッシーが最期まで
自分の「介護人」であることを望まなかったのでしょうか?
たまたまかもしれませんが、カズオ・イシグロも長崎出身であり、
長崎というのは江戸時代蘭学のメッカであり
蘭学といえば医学です。
たくさんの医師が長崎に勉強に行きました。
アントワープという限りなくオランダに近いけれど
オランダではない場所を旅をしながら
命を救おうというオランダ語を学んだ
遠い昔の先祖たちの必死の思いを
なぜかひしひしと感じたりしていたのでした。
命を守るというのはどういうことなのか。
守るべき命に差別はあるのか。
考えさせられる小説でした。
関連記事 in my blog: めっちゃ医者伝
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