2019.12.28 石蕗の花ー網野菊さんと私
Gin
石蕗の花ー網野菊さんと私
(講談社 1981/3/30)
広津 桃子
広津桃子は、1918年(大正7年)生れです。
1949年父和郎の病床を網野菊が見舞ったことから
ふたりの交流がはじまります。
網野菊が文鳥と暮らしていた市ヶ谷の家
「陽のさす部屋」である、護国寺裏のアパート
を広津桃子が訪ねていくのですが、
その光景がまるで映画を見ているように
ありありと伝わってきます。
市ヶ谷の家の庭先には、猫が何匹も来ていたようで、
網野菊は、広津桃子にこんなことを言います。
転ばないように杖でおいながら行くときがあるのだけど
そういう時、猫の露払いとおともをしたがえた
魔法使いのような気がして、なんだかいやね。
広津桃子もまた猫のように網野菊の家を訪ねたのか、
それとも
魔法使いの歳の離れた後輩として訪ねたのか
その独特の目線の中に描きだされる網野菊は、
本人の作品の中で見え隠れする
本人像とはまたちがった姿です。
1981年に出版されているこの本は、
30年近く続いた網野菊との交流の記録であり
変わっていく東京のどこかに
ささやかな家があり、謙遜な生活があり、
目立たぬ植木が身を寄せ合うようにして
花を咲かせ、紫の草花があり、猫どもがたわむれていた情景が
一段と色鮮やかに浮かんでくる
そういう広津桃子自身の心に映し出された光景でもあります。
63歳の広津桃子が、78歳で亡くなった網野菊の記憶を振り返る
1980年代の始め。
今から40年近く前のことです。
でも、広津桃子の語り口があまりに生き生きとしているので、
読みながらいつの時代の話なのか
よくわからなくなったりしていました。
関連記事in my blog: 陽のさす部屋
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