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空飛ぶ色いろnatsuno07

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2019.04.10  桜ほうさら 


書影
(オンマウスで、下巻。)
桜ほうさら
(PHP文芸文庫 2016/1/5)
宮部 みゆき

きのうの強風で、花吹雪が舞っていたなと思ったら、
強い寒気が戻ってきて、青梅ではほんとうに雪が降りました。
東京で桜に雪が降ったのは2001年以来です。
さてそんな桜の季節に、「桜ほうさら」を再読しました。
「いろいろなことがあって大変だ」ということを甲州では
「ささらほうさら」というそうで、
「桜ほうさら」は、それをもじったタイトルです。

主人公の笙之介の父は商人から賄賂を受け取ったという咎で
切腹しますが、どうやらそこには「藩」のお家騒動の
思惑が絡んでいるようです。
笙之介は父の無実を晴らすため、偽の証文を書いた
代書屋を探しに江戸にやってきて、
蛇の道は蛇と、「写本」の仕事をしています。
その一連の物語の間に、別の二つの事件が起きます。
最初に読んだときは、物語の謎解きが気になって
実はあまり印象に残らなかったのですが、
再読して、「三八野愛郷録」と題された書物の存在が
とても印象深く残りました。

それがしなどは、昔のことはどんどん忘れると
金吾郎は言うのだった。(中略)
奥州の小藩に仕える武士にとっては、
日々の暮らしがそれだけ厳しく、余裕のないものだった
ということだろう。
それは同時に、主君の御用掛を務める金吾郎が、
その立場に甘えず、寄りかからず、常に自分より
弱い立場の者たちと共に生きてきたということも
表しているのではないか。


笙之介は自分と同姓同名の別人を探していた金吾郎の
ある問題を解決する手伝いをします。
この金吾郎が、別れ際に
天明の大飢饉の際の自藩の記録をつづった「救荒録」を渡します。
そして物語の終わりに笙之介はその記録を
広く世に頒布するために、
「写本」の仕事を続けようと決意するのです。
天明の大飢饉といえば、三浦哲郎の「おろおろ草紙」の時代です。
そのものすさまじい悲惨さから得た教訓を
次の世代につなごうとする地方の小藩の一藩士の思いの深さ。
藩のお家騒動に家族を巻き込まれ、別の地獄をみた笙之介の決意。
桜の季節は、志の始まりの季節でもあるなと
思いながら本を閉じました。


関連記事 in my blog: おろおろ草紙


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2018.12.13  忍ぶ川 


shinobugawa201812.jpg
忍ぶ川
(新潮文庫 1965/5/30.)
三浦 哲郎

宮部みゆきの「淋しい狩人」が25年前の東京なら
こちらはもっと古い60年ほど前の東京が舞台の小説です。
7編の小説が収録されている短編集で、
最後の「驢馬」を除くと、連続した物語のようにも読めます。
表題作の「忍ぶ川」は1960年の芥川賞を受賞しています。

手もとにある文庫本は2000年現在、80刷。
それが、もう18年前のこと。
今では、かなり在庫の多い大型書店でないと
棚差されていることのない文庫本かなと思います。

描かれている昭和30年代の風景は、
もう古い映画の中でしか見られない日常で、
父親の臨終を描いた場面などは、
谷崎潤一郎の「細雪」の世界に近い気がしました。
考えてみれば戦後まだ10数年しか過ぎていない頃です。

文庫の解説は1965年当時に書かれたもののため、

たとえこの作者が、華々しい人気作家、大文豪などにならず
マイナー・ポエットとして、つつましく生涯を送ったとしても・・


などと、消えることを前提とした文章になっていたりします。
今出版されている文庫も同じ解説がついているのでしょうか。
「忍ぶ川」の青年の家族の物語が、四半世紀後の1984年
「白夜を旅する人々」として描かれることになることを
その時は知るよしもなかった解説者。
それでもさらに時間がたてば
作家が亡くなり、本が書店に並ぶことも少なくなり
忘れられていってしまう。
それは、なんだか寂しい気がします。

関連記事 in my blog: 愁月記


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2018.12.07  淋しい狩人 


sabishiikariudo2018121.jpg
淋しい狩人
(新潮文庫 1997/2/1)
宮部 みゆき

「淋しい狩人」は現代を舞台にした短編推理小説ですが、
この本が世にでたのが1993年
文庫になったのがその4年後だから、
「現代」を舞台にしていると言っても、
じつは20年以上前の東京の話なのです。

「愉しみを約束する娯楽本だけを置く」
を信条にする古本屋さんの主人のイワさん
その孫息子の稔
古本屋の元の持ち主の息子で刑事の樺野俊明
が解き明かす6つのミステリーには
すべて「本」がかかわってきます。

「黙って逝った」と「歪んだ鏡」
は、残された本をきっかけに
見ず知らずの人間の人生が交錯する話で印象的でした。
特に「歪んだ鏡」に出てくる
山本周五郎の「赤ひげ診療譚」は
ミステリーの展開とは別に、
ちょっと読んでみたくなりました。
短編のタイトルになっている
「淋しい狩人」は宮部みゆきの長編
「模倣犯」や「英雄の書」にもつながっていく作品です。

それにしても、25年前から考えると、本をとりまく環境は
ほんとに変わりました。
それでも本を開けば、
イワさんのお店は永遠に本の中にあり続ける
それが読書の「愉しみ」だなと
しみじみ思ったりするのでした。

関連記事 in my blog: あやかし草紙 三島屋変調百物語伍之続


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2018.06.09  三鬼 三島屋変調百物語 四之続 


sanki_.jpg
三鬼 三島屋変調百物語 四之続
(日本経済新聞出版社 2016/12/9)
宮部 みゆき

今年のゴールデンウィーク直前に本屋さんに平積みになった
宮部みゆきの「あやかし草紙」は、
江戸の三島屋の「変わり百物語」の五巻にあたります。
読み始めたものの、前の話をすっかり忘れてしまっていたので、
従兄弟の富次郎とか、瓢箪古堂の勘一が
どういう人だったのか思い出せず、前の巻「三鬼」を読み返しました。
この巻には、4つの物語が載っています。

迷いの旅籠
食客ひだる神
三鬼
おくらさま

三鬼は貧しさゆえに口べらしを与儀なくなされる
という話で、ついこの間読んだ
三浦哲郎の「おろおろ草紙」と似た恐ろしい話です。

最初の「迷いの旅籠」は
死んでしまった人に会いたいと願う思いが高じて
とんでもない変異にまきこまれていく村人の話です。
変わり百物語の聞き手であるおちかは、
いいなずけとおさななじみを惨い事件で失った過去があります。
死者から思いが離れないのは、またおちかも同じこと。

そして最後の「おくらさま」で、おちかは
いつまでも過去に囚われ
自分が自分を閉じ込めていてはいけない
ということに気づきます。
4つの別々の物語を読み進むうちに
おちかのこころに変化が生まれていることを
読者は一緒に感じます。

生身の人の語りは血が通っていて面白うございます。
ですが、生ものだけに時にはあたる。
・・・
でもですね、読み物というものは、
生身の人からはもう離れておりますから、枯れております。
どう間違ってもあたりませんし、障りません


最後の話「おくらさま」でようやく登場した
瓢箪古堂の勘一のことばです。
なぜ、人は物語を必要とするのか。
これは作者宮部みゆき自身の思いでもあるのでしょう。
作者がまるで子を思う親のように
登場人物の「おちか」をしあわせにしてやりたいと
願っているような気さえしました。


関連記事 in my blog: あんじゅう


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2018.05.03  愁月記 


shugetsuki201803.jpg
(題字・著者 挿画 松本勝)
愁月記
(新潮社 1989/12/10)
三浦 哲郎

重荷を負った長い人生を今、終えようとしている母
郷里へ急ぐ私の心に去来する幾多の思い (箱帯より)


表題作の「愁月記」、他6編の短編集です。

「愁月記」は1985年5月、今から33年前に
文芸誌「新潮」に発表されました。
危篤の知らせを受けて故郷へ駆けつける「わたし」は、
窓外の風景を眺めながら、母親が元気だったころの
ふとした瞬間をとりとめなく思い出しています。
やがて、列車が故郷に着くころになって
それまで曇り続きだった空に
立待月(十七夜)が光っているのをみつけます。
その明るさにもかかわらず「わたし」は
かつて飛脚が「たちまちつく」ことをもじって
十七屋と呼ばれたということを思い出します。
そして、自分が到着したとたんに(たちまち)
母親が亡くなるのではないか
そんな不吉な思いにかられます。

そのほかは、
ヒカダの記憶 (1985年6月 文學界)
からかさ譚 (1986年6月 新潮)
夜話 (1984年1月 文學界)
居酒屋にて (1988年5月 新潮)
海峡 (1987年1月 新潮)
病舎まで(1985年1月~7月 すばる)

「病舎まで」は、「露草」というタイトルを改題して
短編集に収められています。
青い色の花をお見舞いに持って来たという娘に
ツユクサかと聞く病床の「わたし」
「露の命」ということばを連想して娘は真顔で怒ります。
「そんな花持ってくるわけないじゃない」
かつて「わたし」が息子として十七夜の立待月に
不吉を感じていたのとどこか似ています。
でも、呑気な父である「わたし」は、
「あいつはツユクサが嫌いなのか?」と
娘が帰ったあとで妻に尋ねています。
それもまた、ほほえましいような。

最初と終わりの短編の中に静かに流れている時間
瞬間でありながら、永遠を感じさせる
家族のポートレートです。

関連記事 in my blog: メリー・ゴー・ラウンド 短編集「木馬の騎手 」より


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2018.04.03  細雪 


sasameyuki201803.jpg
細雪
(新潮文庫)
谷崎 潤一郎

ぶ厚い文庫本3冊を積み上げたときは
うーむと思いましたが、
あっという間に読み終えてしまいました。
小説の中の時代は書かれている史実などから、
昭和11年から16年頃だそうです。

林芙美子とほぼ同世代ぐらいの姉妹は
上流社会の女性たちですが、
退廃的であったり、刹那的であったり、
ともすると共通しているように思えたりします。
赤痢、死産、壊疽、黄疸、流産などの
苦難にさらされるのは生身の人間として同じ。
建て前の中に、何とか無難におさまっている
本家や分家の姉たちも、
いまだ嫁ぎ先が決まらない三女四女も
実際は細かい雪にさらされるような
冷たい現実の中にいるのに、あたかも
花吹雪の中にいるように見えています。

作家はカメラマンのように
姉妹たちの日常を写し出します。
まるでシャッターを押し続けて
連写しているようです。
でもどのショットにも無駄がない。

ひとりひとりに印象的な場面がありますが、
上巻で長女の鶴子が大阪を離れるときに
「東京へ行くくらいで泣くなんて」と
妹たちに笑われている場面がありました。
末っ子の妙子とは違った意味で、
「悪役」を引き受けている存在。
からっ風の吹く殺伐とした東京で暮らし、
本家と疎まれ、安普請の家だと蔑まれる。
そんな鶴子が泣く場面が下巻にまた出てきます。
「きっと一緒に芝居が見たかったのだ」と
妹の幸子は後で思うのですが、
そんなふうに泣いてしまう鶴子の
不器用さ、心細さが心に残りました。

描写の鮮やかさ、人間観察の鋭さ。
谷崎潤一郎の作品を読むのは初めてでしたが、
ただただ感じ入って読んでいました。

関連記事 in my blog: 三月ひなのつき


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2013.04.20  色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 


shikisaio_.jpg
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
(2013/04/12)
村上 春樹

1Q84の時も、出だしの数章を読んだあたりで
先に進まなくなりましたが、
この新作でも、主人公多崎つくるが高校時代の友人を訪ね、
かつて絶交されたいきさつを知ったあたりでギブアップしかけました。
スパイスというのとはちょっと違う、
「添加物」が最初のうちは苦手に感じられるのです。
やたらに詳細な衣服の説明、
いまどき猫も杓子もなBL的エピソード、
聞いたことのない人にとっては
文字情報ではどうしようもない音楽の曲名など。

そうではありましたが、
読後には心打たれるものがありました。
10代の頃に夢中で聞いていた音楽を聞き返してみたくなりました。
さまざまな虚構の中にカモフラージュされている
ティーンエイジャー独特の真情。
たとえ独りよがりとしかいえないものだったとしても、
感傷的とあざけられるとしても、
どうしようもなくチープに思えたとしても、
ありとあらゆる無意味に思える言葉の中から、
「自分の言葉」をみつけるようとする真剣さ。
相手を守ろうとして、かえって相手を傷つけるような、ナイーブさ。

著者が「風の歌を聴け」を書いたのは30歳。
はたして、かつて30歳だった著者にとっても
多崎つくるは、「青年」なんだろうか?
帯に引用されていた著者のインタビュー記事を読みながら、
なんだか、そんなどうでもいいようなことを考えてしまいました。
初期の作品を思わせる小説です。

関連記事in my blog: 風の歌を聴け, 1Q84


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